情報発信について思うこと

情報発信が大事だよ!インプットだけでなくアウトプット!

書いて言語化しなさい!意見を持ちなさい!

 

世間ではこんなことがよく言われている。

私も大学のフリーペーパー制作をする学生団体での活動や

ゼミの論文の執筆を通して、情報発信に関わってきた中で、

なんとなくその重要性がわかるようになってきたと思う。

 

でもそれを始めるまで、「情報発信」なんて面倒くさい!と

思っていたのだと思い出す。

「引用」や「裏付け」を正確にするだとか、

なるべく分かりやすくとか、色々なことに配慮しなきゃと思うと

文を書くのも進んでいかない。

 

対して、「書くこと」そのものは好きなわたしであった。

ただ、またややこしい。

書くことが好きでもそれを人に向けて公開するのは

苦手だし引け目を感じる。むしろ、モチベーションが下がっていた。

 

そんなわたしでも大学生活を続けていくうちに、

「発信すること」自体のおもしろさにも気づくようになってきた。

 

例えば、所属していた学生団体のみんなと作ったフリーペーパーが

不特定多数の誰かに届くことであったり、

それを読んだ誰かがコメントをくれること。

そんな些細なことは、作り手をこんなに励ますのか!と感動した。

 

論文を教授に提出した後、「とても興味深くおもしろかったです。」

と言われたこと。またその論文について、就職活動の面接で話したところ、

それまた面白いと関心を持ってくれたこと。

自分から何かを発信することで、誰かから反応がもらえる。

そして、自分が深い興味を持ったテーマについて、

手間暇かけて調べて、まとめて伝えることでそのテーマを共有できる。

こんなに嬉しいことはない!と思った。

 

発信することは疲れるし、時間もかかる。

それに必ずいい反応が返ってくるとは限らないし、

一言でいえばあまりコスパはよくない。

書いたりする時間を割くことで、

その倍の興味深い情報を手に入れることができるかもしれない。

そして面白かったことだけ自分の心に留めておけばいい。

それに、書いたことが自分にとって後からみてみれば、

大して意味のないことのように思えることもある。

 

この時なんで、こんなこと一生懸命書いてたんだっけ?

大しておもしろい情報ではないなあ。

 

なんて自分が書いた意味のない文章に落ち込んだりもするし、

そのうち書いたことさえ忘れてしまう。

そうなってくると、やっぱり情報発信はコスパが悪いし楽しくない!

ってなってくる。書くこと自体は好きなのに、、、。

 

一方で、驚くほどに情報発信を続けることができている人がいる。

なぜだろうと考えてみる。

ブログがお金に換わるから?ある一定のファンがいるから?

その人にとって人に伝えなきゃいけないテーマがあるから?

それともその人にとっての備忘録としての発信なのか?

その全てが考えられる。

 

でもわたしが一番思うのは、

「関係づくり」の楽しさだと思っている。

 

自分の身の回りにあるもの、人、こと。

逆に遠くにあるもの。

 

これを文章は、発した言葉は、旅するように繋げていく。

一見、意味も関係も持たない1つ1つの事が

自分の言葉で繋がっていくかもしれないというワクワク感。

それは、自分の言葉を発信することでできる

最もコスパのいい旅であるように思える。

それは、心の中の旅だと言える。

 

本を読むことは、心を豊かにするというけれど、

文章を書いたり、話をしたりして発信側になるのもまた同じ。

自分の紡ぐ言葉で、それを聞く誰かが心の旅をできたなら、

どんなに素敵なことだろう。

 

それは、とってもおもしろいことだと思うし、

特定の誰かにだけできる特別なことではない。

得手、不得手もないんじゃないだろうか。

 

ただ、「わたし」がやらなきゃ始まらない心の旅。

自由で、無限で、行き先の分からない未知の冒険。

 

どんなことが待っているか、

誰との出会いがあるか、

何と何が繋がっていくか、

実は自分にも分からない。

 

そうして「発信」は、はじまり、時々休みながら、

また違うどこかへ行ったり、同じ場所をじっくり冒険したり。

終わることなく、続いていく。

 

もっとも大事なことは、「発信」を始めるということ。

それは、場所を問わず、「心の旅」をはじめるということ。

 

おわり。